園長日誌      2013.12.6  No.29

最近、時々、年長組の男の子たちとマルコ教会礼拝堂で私も一緒に祈っています。
初めての日は、いつも元気な男の子たちが少し緊張ぎみで静かでした。
私が子どもたちに「ま~るくなって座ってね」と言うと、十字架を背にして座った子どもが4、5名「違うよ!」と言って十字架を前にして手を組み、いつも祈っている『主の祈り』をしようとしていて、私はハッとさせられました。
自分の信仰はどうなのか恥ずかしい気持ちになりました。口先だけの信仰でなかっただろうか。『私は私の前に主をおいた』という聖書のことばを知っているだけで…と、いろいろなことに気付かされました。
お休みしている司祭のことを祈ることを忘れていた私に、お友だちにチョッカイを出すことのある子が「ついでに先生のこともお祈りしようよ!」と言い出したのは驚きでもあり、「ついでに」ということばにおかしくて、そして、その子の心もこもったことばにうれしくもなりました。
ふざけている友だちのことを祈ったりする姿も見られるようになってきました。
相手を責めるのではなく仲間として一緒にやっていこうとするやさしい思いやりのあることばでした。
育てているつもりが結局は子どもたちに育てられている自分でした。
(中野)

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